『ボランティア もうひとつの情報社会』金子郁容著(岩波新書)を読んだ(拾い読みだが)。
 ボランティアは、自分のためにするものとはなんとなく理解していたつもりだった。しかし、この中で、著者は独善の「閉じている」だけの自分でも、流行にしたがう「開いている」だけの自分でも、ダメで、その両方を活用してこそ、動的な情報を得ることができると書かれていたことにショックを受けた。私は人は文字に残していない情報(伝承のような様態)があることは理解していたが、人と人の結びつきで初めて生まれる情報(データ)は、(一部は書簡のやりとりの解析などでみられるかもしれないが)、どこにも文字として残されないし、その中に自分自身が入っていってこそ得られ、体感する情報であるという点の視点が意識にのぼったことはなかった。
 昔は、こんなことを意識する必要もなく、隣三軒両隣の社会では当たり前に構築されていた情報で、それがなければ生きていけなかったはずなのに、、、。

そして、
最後に私は、この本が1992年にすでに出版されているということに、ある意味一番のショックを受けた。本を読んで色々な視点を得ているつもりになっていたことを、、、。