入試で、特定の入試方法の入学者が、退学したり、成績が悪いと、その入試を止めようとか、
その入試の定員を他に振り分けようという意見がある。
元々多様な人材を取る気がないなら、それでいい。
それならむしろ、入試が複雑な方がおかしい。

でも多様な人材を、多様な入試制度で入学させることは、
結果的に社会を二極化することを防いでいるのではないか?

あるFDでも言っていた、ある大学の工学部では
普通科の学生を縦糸に、
専門科の学生を横糸に、モノ作りに対してお互いに補いあって、
講義や実習がうまくいっていると。

教育は、その時の効率だけを追い求める工業生産ではない。
非効率でも、その世代の人材をつむぐ必要がある。
測定できない効果が、人と人をつなぐという視点で検討されてしかるべきだ。
特定の入試方法(前期・後期など)で、
もし退学者が多いというような傾向が見出されたなら、
ただちに、教育のケアの方法が適切であったかどうかを検証すべきだ。
本音にしろ、建て前にしろ、
入学時にポリシーに合致、学力も適切と判断した上で、入学させているはずだから。


対症療法で、自然が回復しないのと同じように、
根本的な解決策を見つけ出す方向へ。