大学生のための情報リテラシー

情報検索、レポートの書き方、図表作成、プレゼンテーション術

2005年03月

誰からも反応なし。

出版する前に、『大学生ための情報リテラシー レポート書き方からプレゼンテーションまで』のゲラ刷りを、情報処理担当の学内の他学部の先生方に失礼を顧みず、送付してみた(チャレンジャーなことに情報センターの先生にも、、、)。

しかし、今日(3/31)まで誰からも、良いとも、検討しましたとも、採用しませんとも、何も返信がなかった。応用生物科学部で情報処理担当の先生に見せた時は、即採用だったのに、、、。

まぁ、私の送付したゲラ刷りが広告だとすれば、ゴミ箱直行だとしても、何も言えませんが、、、。
『出版物の授業への利用だけでなく、ページの一部だけでも、必要であれば、
一部ページの印刷のためにデジタルファイルを提供してもいい』と書いても、
まったく返信もないものですから、ゴミ箱直行以外考えられませんね、、、。

本の内容は、(お金を無駄にするかもしれないという)リスクを負って、
買った人自身で判断してください。
 私なりに最善を尽くして作成した本です。続きを読む

スクリーンを見よ

学会発表で思ったこと。
OHPでも液晶プロジェクタでも、とにかくスクリーンを見て、
発表した方がよい。

講演者は、OHP機器上のシートやパソコンの画面と対話するのではない。
スクリーンに投影されている状態を見ている聴衆を相手にしているのであり、
聴衆は、実際にスクリーンから情報を読み取っている。

OHPシートやパソコン画面だけを見ていると
スクリーンからはみ出ているとか、下の方に投影されていて
見づらいとか、聴衆が見ている状態を把握できない。
講演者は、見にくさに気がつかないので、聴衆は、非常に違和感を感じる。
説明しているところが、実際のスクリーンでは見えないとか、、、。

講演者と聴衆の見ているものの、わずかなズレが聴衆の理解を妨げる、、、。続きを読む

コンピュータ研究指定校の委託

ちょうど、私が中学校に入学した時、その中学校は、
コンピュータの研究指定校委託を受けていたことが、
出身中学のホームページを見てわかった。
確かにパソコンがあった。

その当時(昭和60年頃)、パソコンがある中学は確かに珍しかったはずだ。
(なんと言っても、卒論が画像やグラフなどを含めて
完全パソコン出力になったのも、ほんの数年前だ。)

それが今の私の基礎なのだろうか?と考えた。たぶん、違う。




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多様な人材を育てる気はあるのか?それとも効率だけを重視するの?

入試で、特定の入試方法の入学者が、退学したり、成績が悪いと、その入試を止めようとか、
その入試の定員を他に振り分けようという意見がある。
元々多様な人材を取る気がないなら、それでいい。
それならむしろ、入試が複雑な方がおかしい。

でも多様な人材を、多様な入試制度で入学させることは、
結果的に社会を二極化することを防いでいるのではないか?

あるFDでも言っていた、ある大学の工学部では
普通科の学生を縦糸に、
専門科の学生を横糸に、モノ作りに対してお互いに補いあって、
講義や実習がうまくいっていると。

教育は、その時の効率だけを追い求める工業生産ではない。
非効率でも、その世代の人材をつむぐ必要がある。
測定できない効果が、人と人をつなぐという視点で検討されてしかるべきだ。続きを読む

堀江氏が提起するメディア論?

メディアはどうあるべきなのか?
そして我々はどうメディアと向き合っていけば良いのか?
堀江氏の発言から、少し考えるところメモしておく。

ジャーナリストの江川昭子氏がライブドア社長の堀江氏へのインタービューした内容が
掲載している。そこを見ると、堀江氏は、情報の価値は人気で決まるとの姿勢です。
<<江川昭子ジャーナルより引用>>
江川――事実が確認されれば、あとはどんな話も載せる、と?
堀江   紙面が許す限りですけどね。あとは人気ランキングだけですよ。
江川――人気?
堀江   インターネット(のニュースに)アクセスするじゃないですか。そこで何が注目されているか、と。だいたいの記事は、先にネットに出ちゃうわけですよ。注目度が高い記事はアクセス数が多くなる。それを紙にする時に、見出しを大きくする。紙は一日一回くらいしか出せませんからね。
出典
TITLE:江川紹子ジャーナル 〜 社会のこといろいろ 〜
DATE:2005/03/17 10:42
URL:http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html

しかし、我々全員がインターネットですべての情報を検索する社会が到来するだろうか?
そして、その人気投票的アクセス数で、紙面の見出しの大きさが変わるような新聞を読むのだろうか?それが良いのだろうか?

現在の新聞社が一定の損得勘定を持って、
情報を好むと好まざるとに関わらず(無意識にしろ、意識的にしろ)、
情報を操作しているというのは間違っていない。
主観は、記事を書く時点から始まって、紙面の大きさ・記事の取捨選択等で
避けられない問題である。

そう、新聞には、紙面という空間がある。時事問題の大小が、紙面の大きさに表れるという意味だ。
(だからこそ情報操作が簡単なんだという批判はここではおいておく。)
ジャーナリズム精神を持っている新聞社の意見だからといって、
無批判に意見を受け入れるわけにはいかないが、
ある程度の基準を提供してくれていることには違いない。
つまり我々が情報を探したり、価値判断する時間を“良識のある”メディアの新聞社が
提供してくれていると考えることができる(もちろん、無批判に受け入れることは良くない)。

もし、堀江氏が望む時代が到来すると、情報の真偽だけでなく、
情報の重要性や時事の大小まで、各自が判断を行い、すべてのニュースが垂れ流されるだろうか?
情報処理演習では、そうも、教えているつもりだが、実際、すべての情報(本当はデータ)を
垂れ流されて、それを見るととなると、正直しんどい。
勿論、悪い面だけではなく、新聞という空間に制限されず、
様々な情報を発信できる手段を提供するという考え方には、良い面もある。

しかし、結局のところ、重要な情報を取りまとめるサービスが出てくるのではないだろうか?
それが、現在の新聞社であるかどうかはわからないが、、、。

すべての情報にアクセスすることで、ビジネスチャンスを見つけようとする堀江氏(や投資家)と
一般の庶民とでは、情報への欲求が大きく異なるのではないだろうか?

将来の情報社会は、インターネットに載らない情報は情報ではないという、そんな未来なのだろうか?

堀江氏が言う、新聞を無批判に受け入れている人達のためだとしても
アクセス数の多い人気の記事を無批判に受け入れるようになるだけではないだろうか?
新聞の主導権を編集者ではなく、インターネットの読者が握っている。

つまり、情報の自己消費?のような社会(流行情報?だけを追い続ける社会)を
危惧するのは、私だけでしょうか?

問題を問題として認識できるのは、知りたくないことも、
編集者が問題提起として新聞紙面を活用してくれているからではないでしょうか?
編集者と同じことができる人には、すばらしい情報社会かもしれないが、、、。


個人情報保護法対策研修会

学内で、個人情報保護法に対する対処方法について、いわゆるFD的な研修会が開催された。職員証で、出席を取るという気合いの入ったものだった。

ただ、そこでのプレゼンは、とてもプレゼンと呼べるような代物ではなかった。SE的な?専門家を外部講師としていたが、留意点やセキュリティポリシーの策定等について説明していたが、話に脈絡が感じられず、内容をオムニバス的に話しているように感じた。個人情報を守る手段と目的が交互に入り交じり、「物理的セキュリティ」を話したかと思えば、「情報開示と情報保護の相反」について話し、また、情報セキュリティに求められる「心構え」を話すという具合だ。おまけに最後のまとめで、今まで話していない、セキュリティを支える要素を説明しだした。脈絡もなければ、まとめになっていない。

これでは、所属会社の企業価値が低くみられるだろう(少なくとも、私はそう見た)。プレゼンの恐ろしさを発表者はこのまま知ることはないのだろう。
「ストーリーがなければ、聴衆はとても聴いていられない」、これを企業プレゼンでも意識しよう。

こっちが出せる値段によってSEが違うという話も聞くから、価格相応ならしかたがないと思いますが、、、。
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リメディアル教育

リメディアル教育について検索すると、結構情報があった、、、。

■大学の中で、もっとも目に付いたホームページは、東海大学と金沢工業大学のもの。

●東海大学では、(リメディアル教育としては書いてないが)、
『高校までの内容がわからないことを前提にした,自由参加の講義,それが課外授業です.単位はないけど,履修登録もなし.わからないことに気付いた,そのときがチャンス.課外授業でわかるようになっちゃいましょう.』という
課外授業が行われているようだ。
出典URL:http://phys.slge.u-tokai.ac.jp/extraclass/default.html

●金沢工業大学の取組はテレビでも見たことがあったので、ホームページを
たどっていくとあった。専用の部屋で、いつでも質問を受け付けて回答してくれる人が待っていてくれる。テレビで見た学生のコメントは、かなり好意的で、『わからないことが、恥ずかしがらずに聞けるから、いい』というようなコメントだったと、うろ覚えだが、そう記憶している。テレビ局も覚えていない、、、。が、NHKだったかな?
工学基礎教育センターホームページ
出典URL:http://www.kanazawa-it.ac.jp/efc/

■いずれも国立大学法人ではない。授業料が約3倍程度違いますが、
お金がないなら、何か知恵を出さねば、、、。


■他には、教育機関以外の教育産業(いわゆる受験産業)から、
リメディアルという用語が不適切という指摘も、、、。続きを読む

お礼の言える人

 この前、ある内輪のメーリングリストで、専門は異なる仲間の研究論文が掲載されたことを知った(知り合ったのは、10年以上も前)。そこには、私が協力(私はとうに忘れていた、、、)したことへの礼が述べられていた。それは私が、かつて、論文のために数単語だけ、専門用語の英単語を教えてあげたものだった。
 
 これだけでは終わらなかった。数日後のメールで、さらにその論文は、年間の論文賞を受賞することが報告された。
 きちんと礼が言え、そのような人が書く論文がさらに論文賞まで受賞する。努力したものが報われた例だ。
 そんな人に協力できたことをほんとにありがたく思う。ここで礼を述べておこう。「ありがとう」。

習熟度別クラスが嫌いな理由

 習熟度別クラスとリメディアル教育について思うこと。まとまっていないが、とりあえず、書いておこう

<<問題点>>
●クラスのレベルによって、単純な作業しか必要ない授業と考え方を深める授業にわかれ、現在の習熟度が低いというだけで考え方を深める学習の機会が奪われる。また、教室や教員の確保の問題から、望まないレベルのクラスへ配置される可能性がある。クラス編成替えの機会は、半期の間にはまずない。

●習熟度別クラスによって、学力差が縮まるどころか、拡大する場合がある。

●各自が得意な科目や内容を不得意な仲間と共に学び合い、教え合う時間・機会を奪う。

●成績評価がダブルスタンダードになる。

●クラスをいくらわけても、そのクラスの平均的学力を基準に授業を行う限り、また学力レベルが二極化すると考えられる(1)。

●個人の学力差への対応が、教育効果(個人の学力の成長パターンや教授法の違いによる成長パターン)を無視して同一としている点(2)

しかし、
●学力レベル・受験選択科目(生物・物理・化学等)が異なるのに同一の課程・学科に入学を認めている以上、なんらかのリメディアル教育をする必要がある。

話は展開して、
<<じゃぁどうするか?>>
リメディアル教育としてe-Learningを活用している例(東京大学)
学生の時間的制約は減るが、緊張感がないのが欠点?また、実際の講義開講までに、これらを習熟できる時間的余裕はあるのか?

 リメディアル教育が不必要な学生はほぼ皆無であろう。であれば、1科目(+α)を入学制度に関係なく、リメディアル科目(未習科目や未習熟科目)を選択履修することにしてはどうか?
 しかし、完全セメスター制を導入しないと、学期によってはリメディアル科目を受講後に受ける科目がなくなる、、、。年に2回も同じ講義は時間的に無理、、、。大学の講義がすべてリメディアル教育で埋め尽くされる、、、。

リメディアル教育について
特定非営利活動法人(NPO)日本技術者連盟(Japan Engineers Federation)


出典等
(1)
数学教育TF--高校数学と大学数学の接点--(三重大学教育学部紀要第50巻,教育科学,97-113)、蟹江幸博(三重大学教育学部数学教室)・岡本和夫(東京大学大学院数理科学研究科)

(2)習熟度別指導の何が問題か、佐藤学、2004、岩波ブックレットNo.612
ISBN4-00-009312-6
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大学生の情報リテラシーの向上によって、荒廃した日本社会を少しでも良い方向へ向ける一つの力を提供できればと考える一社会人
作者:加藤正吾
(Shogo KATO)

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