『使える!確率的思考』を読み直した。
人は、観測できない世界を見落とす
真似することには合理性がある
不確実性下における選択の正しさとは何か
という最後の3章がなかなか面白い。
大学での入試や学内運営や受験動向などと合わせて考えると、面白い。
面白いと思ったところから、考えたことを一つだけ書いておきます。
成果主義の部分で、ゲームの理論やなまけアリが一定量必ずいるといった事例から、
成果主義の行き着く先が予想されています。
例えば、大学では、いくら教員全員ががんばっても、
分配できる人件費は上限があり、入学する学生の数も同じです。
つまり、頑張っても、毎年、給料はもらえるし、ゼミの学生も増えません。
しかし、逆に考えると、
この分配できる人件費の額を上げられれば、
パイの数は決まっていないので、働きアリ(教員)が増えても困りません。
そして、入学する学生数が変わらなくても、
卒業する際にすばらしい人材として
社会へ巣立って、社会から大学が評価されるなら、
学生数は増えませんが、評価はあがります。
これで、文部科学省からの特別予算(COEやGP)が配分されるなら、
(人件費ではありませんが)パイ全体の大きさが大きくなっていきます。
つまり、大学が、任期制にしろ、インセンティブによる研究費配分にしろ、
成果主義を取り入れるとした場合、
パイの全体の大きさを大きくすることを考えて導入しないと、
何の意味も持たない。
(※パイを食べただけ働いているかぐらいは、検証するために評価は必要でしょう。
授業いいかげん、会議不参加、研究しない、社会貢献しない教員はパイを無駄にしていますから)
教員は、人を育てることで、
パイ全体の大きさを大きくするよう(あるいは、後退局面なら、減らさないように)に力を入れる必要がある。
単なる証券会社のような成果主義が大学にはあてはまらない。
それはパイの大きさが決まっているからだ。
パイの大きさを大きくしたり、維持するための改善が必要なのであって、
成果はあるけど、パイの大きさを大きくすることに貢献していないのであれば、
それを、成果主義として、パイの配分に用いると悲惨な結末が待っていると
思うようになった。
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人は、観測できない世界を見落とす
真似することには合理性がある
不確実性下における選択の正しさとは何か
という最後の3章がなかなか面白い。
大学での入試や学内運営や受験動向などと合わせて考えると、面白い。
面白いと思ったところから、考えたことを一つだけ書いておきます。
成果主義の部分で、ゲームの理論やなまけアリが一定量必ずいるといった事例から、
成果主義の行き着く先が予想されています。
例えば、大学では、いくら教員全員ががんばっても、
分配できる人件費は上限があり、入学する学生の数も同じです。
つまり、頑張っても、毎年、給料はもらえるし、ゼミの学生も増えません。
しかし、逆に考えると、
この分配できる人件費の額を上げられれば、
パイの数は決まっていないので、働きアリ(教員)が増えても困りません。
そして、入学する学生数が変わらなくても、
卒業する際にすばらしい人材として
社会へ巣立って、社会から大学が評価されるなら、
学生数は増えませんが、評価はあがります。
これで、文部科学省からの特別予算(COEやGP)が配分されるなら、
(人件費ではありませんが)パイ全体の大きさが大きくなっていきます。
つまり、大学が、任期制にしろ、インセンティブによる研究費配分にしろ、
成果主義を取り入れるとした場合、
パイの全体の大きさを大きくすることを考えて導入しないと、
何の意味も持たない。
(※パイを食べただけ働いているかぐらいは、検証するために評価は必要でしょう。
授業いいかげん、会議不参加、研究しない、社会貢献しない教員はパイを無駄にしていますから)
教員は、人を育てることで、
パイ全体の大きさを大きくするよう(あるいは、後退局面なら、減らさないように)に力を入れる必要がある。
単なる証券会社のような成果主義が大学にはあてはまらない。
それはパイの大きさが決まっているからだ。
パイの大きさを大きくしたり、維持するための改善が必要なのであって、
成果はあるけど、パイの大きさを大きくすることに貢献していないのであれば、
それを、成果主義として、パイの配分に用いると悲惨な結末が待っていると
思うようになった。
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