大学生のための情報リテラシー

情報検索、レポートの書き方、図表作成、プレゼンテーション術

2007年11月

司書

1ヶ月以上も前の話。

査読者から言われた日本人の古い論文を引用せよとの指示で、
引用文献として著者名と年号と雑誌名しか指示されていないものがあった。

ネットで2つまでは見つけたけど、シリーズもので、指示された出版年からすると、もっとあるようだった。岐阜大学の図書館には所蔵はない。

岐阜大学の図書館の複写依頼サービスに、これこれこういう連名の論文がこの雑誌に他の号にも載っているので探したいと依頼したら、すぐに探して返答が来た。

自分の無能さと司書の有能さに驚く。

多謝

ウェブ時代をゆく

この本の中で、
ウェブ進化によりどういう自由が現代人には開かれたのか、と考えるとき、私は、リアル社会の環境の制約、つまり住む場所や生まれながらに属するコミュニティなどが相対化されて、自らの志向性にあわせた共同体へ移行する自由が与えられたことなのではないかと思う。地縁、血縁、家族、学校、会社、といったリアル社会のコミュニティから「時間の使い方」の優先順位を変えることで、「志向性の共同体」へ移行する自由である。私はこういう可能性を強く肯定的にとらえたい。


肯定的にとらえる。つまり正の側面を重視すれば、そうだろう。
かかわりを自分自身で選択できる。すごい自由だ。
それは変われるよ、時間の使い方を変えるんだもん。

 しかし、リアル社会を生きる力は、自分の志向性と異なる問題が、身近に生じた時にどのように対処できるかが問われる問題である。

 時間の使い方の優先順位を志向性という尺度として物事に対処していれば、その尺度で切り捨ててきたリアル社会から、その尺度の人間がどのように扱われるか。そういった側面は平野氏との対談の所でわずかにしか書かれていない。

 ただ、著者も、“移行する自由”と言っているように、自由なので、自己選択である。自由には責任が伴う。この移行が生存にとって、最適戦略となるのは、限られた条件下だろう。その条件が何であるかは、厳密には答えられないが、、、。

 本当に、この書は、オプティミズム(楽天主義)によって書かれている。
著者は当然それを本文中で述べている。これで救われる人がいるなら、それもそれだが。ただ、うまくいった例が、この本には挙がっているが、その周りにうまくいっていない事象も生じているということを忘れずに。何が最適戦略となるかは難しい。なんと言っても、相手の戦略次第で、自分の最適戦略は変化する。

この本の中で、
ネット世界の最先端を生きる若者たちは、すでにネットとリアルの世界を区別しない。「区別して理解しよう」と考えた瞬間に、もう理解できなくなっているのだと言う。
というやりとりの
文が、一番、がつんと来た。



これにはちょっと思うところがあるが、またいつか(これを書いて、実際に書いたためしがない?)。

祖国とは国語と国語審議会

「国語審議会」という本と「祖国とは国語」というを読んでみた。

国語制定?の歴史がよくわかる。
そういったことに興味がある人だけが読んでみてもいい。




「祖国とは国語」という本があるが、私は母語はあなた(あるいは私)自身と思っている。母語とは、日本語でも英語でも、手話でも、点字でも、指点字でも。もしかしたら、一つのカテゴリーとしての日本語と、くくらなくてもいいのかもしれない。というより、くくらない方がいいような気がする。母国語ではなく、母語である。日本語9割で英語1割でもいい、それがあなたの母語であれば。そしてその母語として自分を表現したり、コミュニケーションしたりする絶対値が高ければ。

本当の一つの言語(?)を身につけた方が思索ができるのだろか。
思索の元にできる母語がきちんとしていれば、それが日本語と英語のチャンポンだろうが、いいのではと思う(根拠無し)。一つの型を身につけるのは、応用が利くという点では、一つの言語を身につけるのはいいだろうけど。



母語の身につけた有様が、あなたを表現できる一つの手段である。

『祖国とは国語』の中で、
藤原氏は、国語という言葉を科目として書いているような感じがあり、国語政策をことさら支持しているという訳ではない感じる(流し読みしかしていないけど)。
ナショナリズムより、郷土愛といった感じ。
ただ、私のような母語という視点からは、国語という教科をいくら強化したところで、コミュニケーション能力はあがらないだろうと思う。



ただ、この本のタイトルは、フランス人がいったと書いてあるが、フランス語に“国語”というものがあるだろうか?
と、思った。

そして、
この言葉は、藤原氏が言うには、山本夏彦氏からの再引用で、フランスのシオランという人の言葉らしい。

で、フランスのシオランという人を調べると、どうも、ルーマニア人(Wikipedia)らしい。ややこしい、、、。

「祖国とは国語」の原典が結局わからないのでなんとも言えないが、
亡命してフランスにシオランという人が滞在していたこと(Wikipedia)をあわせて考えると、シオラン彼自身にとって、まさに祖国はフランスではなく、ルーマニア語かハンガリー語ということで、「国語」ではなく「母語」ではないだろうか。
彼の心の故郷として言葉にのみ拠り所を求めたのでは。

何か、「祖国とは国語」という言葉が一人歩きしているような気がする。
著者の用い方と読者の誤解で、、、。

学校の科目として、なんの気なしの国語、
日本のナショナリズムとしての国語(日本語じゃないもんね)、
国語という言葉に問題意識を持つには、まったく異なるこの二冊はなかなか良かったかもしれない(国語審議会はかなり読み通すのがつらいけど、、、)。

しかし、「祖国とは国語」は、読み物としては、面白く興味深い。
二章の家族とのやりとりのエッセイがたまらない。
三章の満州再訪の物語。
軽さと重さが。

大学院の募集要項

農学研究科(応用生物科学研究科)以外、どこもPDF版を公開していない。

いじょう。

携帯の迷惑メール

ここ1週間ぐらい、突然、携帯電話の迷惑メールが増えた。

@yahoo.co.jpアドレスから。
さっそく、拒否アドレスに登録。

なりすましメールだろうな、たぶん。
Softbankさん、なりすましだったら、早速対応してください。

それと、携帯“番号”をさらした架空請求も来た。どうやって送信するのやら。
こんなの似た感じのやつ


ほんと迷惑。


次期学部長

次期応用生物科学部長に、
小見山章教授(専門:森林生態学)が昨日の教授会で決まった。

今や学部長はかつてのような名誉職ではなく、
学部の舵取り、本部との折衝の重要な職務を担う。

未来を見据えて、どのような改革がなされるか、
楽しみでもある。


ぼけたかと思ったけど

あるイベントの予定を聞かれてないと思った。

でも、他の方々は聞かれているようだった。

もしかして、俺も聞かれて、自分が忘れているだけだろうか。

でも、どうも、俺だけ聞かれていなかったらしい。

良かった。まだぼけていなかった。

駄文。

ビデオ

ある木曜日に、調査から帰学したら
教授の先生が、憤慨していた。

ビデオを見てわかった。とても全部は見る気にならないけど。
これでは憤慨するだろうという内容。

停滞するな、これは。色々と。



拙書

出版社から、あと5冊との連絡を受けた。
予想以上に、まとめて使っていただけた授業があったため、品切れ間近。
岐阜大学生協にあと6冊ある。
手元に数冊ある。

来年の新規採用予定の連絡も出版社から来た(150冊)。
来年の早い段階で、増刷しなければ。

急に必要と言われても、少数部数出版なので対応できない、、、。
100冊とか200冊、急に必要と言われれば、急いで刷ってもらうけど、、、。

OpenOffice.orgのバージョンがこまめに変わるから、
来年は、少しだけバージョンアップ版(たぶん)。

Ms-Office版は、依頼があれば、小数部増刷。
改訂の見込みなし。なんといってもOffice system 2007を持っていない、、、。




メモ。

行ってきたけど

フォーラムに参加してきた。

登壇者の一人の発表内容にはあまりに意味がなく、学会発表なら退席しただろうと思った。その後も、その方がパネリストとして良く発言していたが、ほとんど自分の発表データを否定したり、行間を読む必要があるという類の発言で、何のためのデータ・発表なのかという感じだった(提出された2つの指標も相関している指標で、それを別々の項目への評価に用いるという質問する気力もなくなる指標だった)。

参加したおかけでまったく門外漢の私には、これからの大学の社会貢献についての情報が少し集まってありがたかったが、フォーラムのテーマはほとんど議論されず。

設定テーマ自体が、いまいちと感じた。

市場原理で解決することを議論し、
市場原理で解決しないことを議論しないという意味不明なテーマ設定。

この程度のレベルを議論しているようでは、大学は、社会と連携できない。

来年はたぶん福島で開催。


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科目削減(農学系)

近くの農学系の大学で、また科目削減。

なんか最近偏差値が少し上がったな思うと、だいたい、受験科目削減。
5教科7科目から、4教科6科目へ。

来年は、四国の大学で後期日程で科目削減。
これも二極化か?

科目を増やす学部や大学と、減らす大学、、、。

交通案内

ある大学に職務命令で、フォーラムに明日11/6に行くが、大学のHPを見て唖然。

一部、伏せ字

●●までJR利用

●●駅前から●●バス「●●大学・・・」行に乗車、「●大東門」、「●大西門」
又は「・・・」で下車。
●●駅前から●●バス「・・営業所」行に乗車、「●●大学」で下車、徒歩約7分。
※上記2路線は市内を廻るため時間がかかります。

駅から何分かかるか書いてもらわないと、、、。

おまけに、そのページの
→バス時刻表はこちらというリンクをクリックすると、そのページ内の

バスの時刻表は下記の各社ホームページでご確認ください。
●●バス(JR●●駅より●●キャンパス及び●●地区へ)
●●バス(●●空港より●●キャンパス及びJR●●駅へ)
●●バス(JR●●駅より●●地区へ

という部分へ飛ぶ。
さっきの2路線が違うバス会社ならわかるけど、一緒だよね、、、。

こういうことをすると大学のレベルが疑われる。続きを読む

供述調書

供述調書を漏洩した医師が逮捕された。秘密漏示罪Wikipedia

この事件、報道を萎縮させるとか、知る権利や表現の自由などとの関係で否定的な論評が多い。
こんな感じ。

秘密漏示容疑による強制捜査は異例である。同種の捜査が頻繁に行われるようになれば、憲法が保障する表現の自由を脅かしかねない。

琉球新聞

報道や表現の自由に関する深い知識を持ちあわせていないが、
私が思うに、
“公権力の側”にいる鑑定医が、情報を漏洩したことが問題なのでは?

(公権力が不正を行っていて)
医師がそれをただすために、情報を公開したなら、話は別だけど、
公権力によって得た情報を、単に勝手に他人に公開した。

供述などが外部に公表されないものであり、そのルールに基づいて作成されているものを勝手に外部へ公開した。
これが問題では?
表現の自由とは、次元が違うような。

もし、これが違法でないなら、検察でも誰でも、供述調書を外部へ公開できてしまう(無論、今回の逮捕・拘留は見せしめ的なので、その点を非難するなら、適切かもしれない)。

残る問題は、供述調書を引用した著者の方だ。
この著者が、どのような罪に問われる可能性があるのか、ないのか。
取材源に違法性の認識があったかどうかは別にして、
不当な取材かどうかということか。

正直、これは私には答えがない(起訴されない見込みと報道されている)。

情報を公表したから罪に問われるというわけではないだろう。
プライバシーの侵害なら、民事で争える。

秘密漏示した医師が逮捕され、
プライバシーを侵害した著者は損害賠償裁判?になるとすれば、
公平性を欠くような気もするが、
公権力が罰せられ、報道が保護されるという点では意味がある。

ただ、供述調書の丸写しのような本を出してジャーナリストというのだけは認めたくないし、それを認めないことが、著者への態度として私のできる最大の選択か。


マイクロソフトも競争にさらされて

マイクロソフト、高等教育機関向け「包括ライセンス契約」の提供を開始
だって。

昔、キャンパスアグリーメント?とかあったけど、OpenOffice.orgやThinkFreeやKingsoft Office?とか、色々、競合相手が増えてきて、安く手に入るような契約を、また始めたようだ。

Officeが何分の1ぐらいの価格になるのかな。まぁ、これまでを考えればかなり安い。ただ、一千万規模をOpenOffice.orgを使えば、他の研究教育に使えるかと思うと、、、。

これが価格例
学生単価を低くすることで、抵抗感を減らしている。学生に2700円ださせて?、教員が5300円なら、お互い痛みわけ?ぐらい。

ダウングレード権で、用途に合わせて旧バージョンを利用可能
たしかに、これをしないと大学には普及しないな。

Justsystemsは、驚くほどOffice系ソフトが安い。これも1年契約だけど、、、。

まぁ選択肢があるということで、良しとしておこう。

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定価は2750円(税込み)です。

大学生の情報リテラシーの向上によって、荒廃した日本社会を少しでも良い方向へ向ける一つの力を提供できればと考える一社会人
作者:加藤正吾
(Shogo KATO)

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