論文が公正に発表されたかについて、民事的に争っているのであり、STAP細胞の有無は、問われていない。つまり、STAP細胞があったとして、論文発表における研究不正があったかどうかが、現在の争点であり、小保方氏が、報告書に裁判的に反論するのは当然だ。それを批判するのはおかしい。これは小保方氏の側に説明責任があると考える理研と、理研の規定の読み方によっては説明責任が充分はたされなくても証拠がなければ不正ではないとする小保方氏側の主張の違いについて、雇用する側と雇用される側が争っているだけである。

もちろん、論文が公正に発表されなかったと理研や一定数の研究者が判断しているため、STAP細胞やSTAP幹細胞の作製について疑義が生じているため、その研究過程そのものに、不正がなかったかどうかが疑われている。つまり、ES細胞の意図的混入などがあったのではないかということが社会的な興味となっている。これは別のところで論じられるべきことだ。

まず、単なる幹細胞の誤認や単なる幹細胞の選抜か、ES細胞などの非意図的混入の場合は、ただしく論文が発表されている限りは、後日、誰かによってSTAP細胞が単なる誤りであったということがわかるだけで、細胞生物学における科学的理解の正しい発展の仕方である。だから、論文が公正に発表されていることが、この大前提である。それがなされていないと、山梨大学の教授の先生は思っているから論文を取り下げるべきだと言っているわけだ。

理研は所属する労働者が発表する論文としては、不正があったから、取り下げが適切であるという判断で、労働者として反論する小保方氏は、判断を覆して論文を理研としては不正ではないと認めさせるか、覆すことができず論文撤回に同意しないとそれなりの処分があるだろうから、理研の社員ではなくなるか、自らやめるかになるだろう。不当な扱いであると裁判になるかもしれず、この問題は裁判所にゆだねられることになるだろう。




これを読んで勉強するといい。