転部や転学科(課程)を希望する学生が一定数ある。
しかし、ここでいつも思うのは、
この制度は“入学後”に自分の希望が変わったことに気が付いた人への救済制度であって、入学前から不本意入学の人への救済制度ではない。
もし、受験指導の中で、『転部や転科制度もあるから、とりあえず、その大学に入って、途中の学年で受ければいい』とか言っているなら、絶対にやめて欲しい。大学生活での迷いがますばかりだ(決断を先延ばしにしていることを理解しているならいいし、まぁ、下手な鉄砲数撃ちゃあたる的なセンスで転部試験を受けるなら、それはそれでいいかもしれないけど、、、。)。
偏差値や倍率等の関係で、入学できなかったことを転部・転学科(課程)の制度に救いを求めても、入学時の学力に差があって、その入学後に“努力もしない”で、“希望ばかり”のべても、転部がかなわないことが多い(だって浪人までして、勉強している人達に失礼でしょ?)。
希望が変わったことで、転部(さらには編入制度)し、希望する学問が学べる環境を手に入れる人達はいる。
いったい、転部等をした人で、
どれくらいの人が、不本意入学解消のためのに転部し、
どれくらいの人が、入学後に希望が変わったための転部したのでしょうか?
(誰か答えてくれないかな〜。)
しかし、ここでいつも思うのは、
この制度は“入学後”に自分の希望が変わったことに気が付いた人への救済制度であって、入学前から不本意入学の人への救済制度ではない。
もし、受験指導の中で、『転部や転科制度もあるから、とりあえず、その大学に入って、途中の学年で受ければいい』とか言っているなら、絶対にやめて欲しい。大学生活での迷いがますばかりだ(決断を先延ばしにしていることを理解しているならいいし、まぁ、下手な鉄砲数撃ちゃあたる的なセンスで転部試験を受けるなら、それはそれでいいかもしれないけど、、、。)。
偏差値や倍率等の関係で、入学できなかったことを転部・転学科(課程)の制度に救いを求めても、入学時の学力に差があって、その入学後に“努力もしない”で、“希望ばかり”のべても、転部がかなわないことが多い(だって浪人までして、勉強している人達に失礼でしょ?)。
希望が変わったことで、転部(さらには編入制度)し、希望する学問が学べる環境を手に入れる人達はいる。
いったい、転部等をした人で、
どれくらいの人が、不本意入学解消のためのに転部し、
どれくらいの人が、入学後に希望が変わったための転部したのでしょうか?
(誰か答えてくれないかな〜。)
どちらかというと、後者にあたると思います。
でも、はっきりと断言はできません。どちらの要素もあります。
編入試験の面接で言ったのは、
「この大学のこの学部には、私の勉強したいことが学べる環境があるから」
受験生の時は、某国立大学・教育学部で環境教育についての勉強をしたいと思っていました。しかし、その大学には、前期試験も後期試験も合格できず、家庭の事情で浪人も許されず、滑り止めの私立大学に入学しました。
(浪人がダメで、私立に入学するのが許されるのって、おかしいと思うが)
嫌々通うことになったその大学で、素晴らしい先生に出会い、私は救われました。そこで私の希望が変わったのだと思います。
編入学後、素敵な仲間(友人・研究室の先輩)そして偉大なる指導者に恵まれ、大変ですがやりたい勉強もでき、幸せだなぁと思っています。