1年前、大きな地震が起き、大きな津波が発生した。
津波によるその被害は、甚大であり、原子力発電所の電源喪失という事態をまねいた。

地震時には、北海道で、学会中であった。学生もいた。

この日の夜は、つる植物に関する研究会の発表があった。発表は、聴衆は身内が多かったがなんとか終わった。(この研究会の前だったか、後だったか失念したが、出張中の我々を心配して、研究室の小見山教授からも、大丈夫か?という安否を確認する電話があった。)小さな研究会であるので、研究会の後には、ちょっとした懇親会があるのは、常である。関連研究者に色んなことを聞ける機会なので、そこに学生達も来ていた。会食をすませ、それぞれの宿泊先に戻った。

私は、ホテルに戻った後、北海道内の鉄道に、11日の夜の時点で乱れはないことをフロントで確認し、部屋の電話で、帰る予定の12日に飛ぶフライトが、30分遅れで運行されることをANAの問い合わせ先の自動応答で、確認した。座席も指定してあるので、チェックインもいらない状態。

学生達は、北海道に学会に来たついでに、卒業旅行を計画していた。
しかし、私は、無情にも、学生達に、すべてをキャンセルして、ただちに岐阜へ戻るよう携帯電話のメールで、命じた。

原子力発電所が爆発する可能性がゼロではないと感じたからだ(実際に水素爆発してしまった)。
最悪の事態として、何日も、何週間も、帰れないという可能性を考えたからだ。
飛行機が北海道と本州の間を行きできないほどの大惨事がおきるかもしれないと思ったからだ。

メルトダウンは数時間後には起きていたので、帰れ命令が正しかったかどうかは、わからない。
もしかしたら、飛行機が飛んでいる最中に、爆発したかもしれない
(無論、ANAなら、中部-札幌間は、日本海側の海沿いを飛ぶため、爆風でとばされるようなことはないのだが。実際の爆発そのものは数日後だった)。

学生達は、格安航空券だったので、チケットの日程変更はできず、北海道から帰るためには、余分に費用を払って、帰らなければならなかった。学生達は、余分にお金を払ってでも、従った。たぶん4万ぐらい。幸いにして、次の日、札幌駅周辺で、すぐチケットが取れたと連絡がきた。

私は早めに新千歳空港に着き、かなり混雑していたが、予定通りのフライトで中部空港へ(千歳でまっている間に、川窪准教授からも電話があった。)。名古屋を経由して、岐阜へ戻った。
学生達も無事、夕方、戻ったとの連絡があった。

生涯ない卒業旅行の機会を失うことになっても、学生達は従った。

したいことではなく、すべきことを選択した。