STAP細胞は現時点であるのか、なかったかは不明で、剽窃も、(断り書きのない)画像の切り貼りも、画像の流用も、論文として許されないが、再現性を確認できない方法、つまり再検証性がない論文を、研究を構築したことが問題。

再現性は、STAP細胞が再度、他の者によって作製できればいいだろう、
だけど、STAP細胞一連の研究は、再検証性がない。つまり再現性が云々ではなく、再検証性が担保されていない。だからSTAP細胞が再現されれば、技術としてはそれはそれとしていいが、科学論文としては、まったく存在しないと同じというか、存在してはならないものだ。

そして、博士論文の序論が他のWebサイトの文章の貼り付けとか、引用文献が他の論文を貼り付けただけとか、普通ありえない。あまりに特異な例だ。卒論でもあり得ないし、修論の副査でも、これぐらいひどければ読む。今年度も、修論の副査は3つ読んだ。そのうち2つは、一応読んで本人に返した。もう1つは、発表会で、辛辣なコメントをして、会場が氷ついていた(たぶん)。

岐阜大学では、博士論文では主指導と主査を同一としないような改革が、以前、行われた(たしか)。これは全国の医学博士(博士(医学))の取得に、謝礼がからんでいたことが問題になったときに、このような慣習をなくすため、そして審査の信頼性をあげるために行った。

切り貼りの博士論文に博士号をだした該当大学の責任は重く、反省と改革が必要だろうが、この外れ値からそれほど学ぶことは、私には多くない。

単に、学ぶ過程をへなかったのか、学ぶ過程をへようとしなかったのかはわからないが、いずれかが正しい方向に担保されていれば、このような問題は起きなかっただろう。

理研が明日4月1日に調査委員会の結論を報告すると報道があったが、どのような判断をしたのだろうか。