かなり疑問な用語。
「自然の叡智」 | EXPO 2005 AICHI,JAPAN

自然の叡智なんて言って万博してますが、、、。
(環境保護団体の人、怒らないでくださいね。どっちかと言えば、私もそっち側の人間ですから、、、。専門は森林生態学ですから。)

でも、言わなければなりません。

人間を自然の一部というなら自然の叡智の中に人間の叡智が含まれるのでしょうが、
多くの人は、人間と自然は別だと考えているでしょ?
自然から人間を切り離して「自然の自己維持的な仕組み」を叡智と呼ぶのは、思い違いだと思うのです。

自然全体が知的生命体(自然の叡智を生み出すことができるなら)であるなら、人間なんてとっくに淘汰されているでしょう??

自然の叡智は、安易な擬人化による表現です。それをわかって使用しているならいいのですが、、、。万博入場者や参加者のどの程度の人が、その辺をわかろうとしているのか、、、。理解しようとしているのか?それとも「自然の叡智」には自己修復能力があるので、万博でそれなりに森林(何haでしったけ?)を切り開いても大丈夫ってこと?

もっと考えよう。理解を深めよう。そして万博をみてみよう。
市民参加型イベントなど、個人ではできない効果も発揮しているのだろう。
万博が何を伝えたか?それを見極めよう。

万博ページには、
「会場で説明にあたるスタッフが、「バイオ・ラングは自然の中に人間の居場所を作るという日本人の自然感に裏打ちされています」と話すように、大自然の凝縮を都会で味わえる魅力があります。」とあります。
大自然がそんなに簡単に模倣できるなら、都会の中に大自然自体を作ってよ。
「バイオラング」なんてものを自然と誤解する都会人を増やさないためにも
そして万博会場の駐車場に外来種の「ケナフ」植えて、環境保全だと思わせないように。毎年、誰が植えるのさ?

このミスリードが将来に禍根を残さないように、
せめて1回、自分の目で見て、もっと問題点を整理したい。
(花壇に外来種を植えて花を楽しむことを私は否定しない。
これはまた別の機会に)
ちなみに私は愛知県出身。
万博会場の前身の愛知青少年公園で、サイクリングロードや森の中を
駅伝やクロスカントリーを何回も走ったけどな〜。

今は昔。とりとめもなく。