あまりお客様センターに電話するのは好きではない。当然、電話するということは、何かに問題があるからだ。
でもかけてみると勉強になることがある。
水道メーカーに、食洗機の分岐水栓をつけてから水がもれるが、何が問題なのか聞いた。分岐水栓のことは当然わからないだろうけど、分岐水栓を外しても同じ症状が分岐水栓を付けてからでたからだ。
まず、水道の形、どこから漏れているかを説明するのが難しい。が、電話の相手は、『水道の形を思うようにお話下さい』と言う。これで思ったように話すと、相手がその部分をかみ砕いて、こちらのイメージと共有してくれた。たった、この一言で、自由に話せる。
たった一言で、顔の見えない相手に安心感を与え、相談解決に必要な情報を引き出す。これがもし、『水道の部品の名前を言って下さい』で始まっていたら、この問題は解決しないし、解決しても、不満が残る対応だっただろう。
うまく行かないこともある。
お客様センターにある組み立てマニュアルと、手元にある組み立てマニュアルのバージョンが違い、『ネジのAを○○してください』、ない!アルファベットが、、、。ということも。相手は一所懸命に対応してくれているが、こっちにそれに相当する情報がないので、解決しない。それとこっちの使う言葉に対応して臨機応変に対応できなかった。お互いに部品の何の部分を指して話しているのかはっきりしないままだった。最後の提案は、(まるでクレーマーのような私に)扉を送って、それを付け替えるという選択肢を示すことだった。正直言ってそこまで求めていない。つまり求めているのは組み立て扉の傾きが少し直ればいいという要求である。要求と対応、こちらのイメージと相手のイメージが一致しないという点で、結局、電話では問題は解決しない感じだった(不満を最大限取り除こうとする姿勢はすごかったが、、、、。こっちが恐縮する)。
両方とも非対面の難しさがあったが、客(私)が何を望み、どんな答えが解決に結びつく(客が喜ぶ)かを見誤らない対応が、この結果を分けた(のか)。
話しの中の個々の要素とそれを組み立てた構造が、一致しない場合は、対面だろうが非対面だろうが、相互理解は当然無理だ。こっちも、もっと要素を完璧に伝える努力と、構造へ結びつける話し方に心がける必要がある。
でもかけてみると勉強になることがある。
水道メーカーに、食洗機の分岐水栓をつけてから水がもれるが、何が問題なのか聞いた。分岐水栓のことは当然わからないだろうけど、分岐水栓を外しても同じ症状が分岐水栓を付けてからでたからだ。
まず、水道の形、どこから漏れているかを説明するのが難しい。が、電話の相手は、『水道の形を思うようにお話下さい』と言う。これで思ったように話すと、相手がその部分をかみ砕いて、こちらのイメージと共有してくれた。たった、この一言で、自由に話せる。
たった一言で、顔の見えない相手に安心感を与え、相談解決に必要な情報を引き出す。これがもし、『水道の部品の名前を言って下さい』で始まっていたら、この問題は解決しないし、解決しても、不満が残る対応だっただろう。
うまく行かないこともある。
お客様センターにある組み立てマニュアルと、手元にある組み立てマニュアルのバージョンが違い、『ネジのAを○○してください』、ない!アルファベットが、、、。ということも。相手は一所懸命に対応してくれているが、こっちにそれに相当する情報がないので、解決しない。それとこっちの使う言葉に対応して臨機応変に対応できなかった。お互いに部品の何の部分を指して話しているのかはっきりしないままだった。最後の提案は、(まるでクレーマーのような私に)扉を送って、それを付け替えるという選択肢を示すことだった。正直言ってそこまで求めていない。つまり求めているのは組み立て扉の傾きが少し直ればいいという要求である。要求と対応、こちらのイメージと相手のイメージが一致しないという点で、結局、電話では問題は解決しない感じだった(不満を最大限取り除こうとする姿勢はすごかったが、、、、。こっちが恐縮する)。
両方とも非対面の難しさがあったが、客(私)が何を望み、どんな答えが解決に結びつく(客が喜ぶ)かを見誤らない対応が、この結果を分けた(のか)。
話しの中の個々の要素とそれを組み立てた構造が、一致しない場合は、対面だろうが非対面だろうが、相互理解は当然無理だ。こっちも、もっと要素を完璧に伝える努力と、構造へ結びつける話し方に心がける必要がある。
