大学生のための情報リテラシー

情報検索、レポートの書き方、図表作成、プレゼンテーション術

大学の教育改善

芸人の道を大学の教員の道に置き換えてみると

(正確な文面は知らないけど、お笑いの大悟さんが言ったとされる)
「自分のことを好きで観てくれてるわけではない客を笑わせる」っていう職業と、
「自分のことを好きな人が集まる場所で楽しませる」っていう職業では本質的に異なる、ということを
大学に置き換えてみると、なかなか奥が深い。

専門の学問を好きで学んでいてくれるわけではない(≒学びたいのは、特定の専門分野なので、それ以外の講義は好きで学んでいるわけではない)学生を学ばせるという職業なのか、
専門の学問を好きな学生が集まる場所で学ばせるという職業なのか。



プレゼンの機会に成長させる

こういった機会を使って学生を鍛えないと。

起業部いいね。

客観視

客観視するのは難しい(客観視してもらうのは難しい)。

時間の無駄

こんなに意味のないウェビナーがあるだろうか。
これは開催者の能力の問題だ。150時間は無駄になった。

任意

任意接種に任意での参加だから、講義をどうするかも任意。

任意接種は、個人が責任を負えばいいが、
講義をどうするかが任意なのは、いただけない。


相関の意味

卒業時の成績が、一年生の成績と最も高い相関を示すから入学当初からの大学の勉強に取り掛かることの重要性を示している。

という方がいる。

でも違うと思うな。

大学で評価される能力をはかる課題への適応力が足りない・ないものや、大学生活そのものになじめない(例えばクラスで全員が教師のもとに集まって生活や進路指導を受けるというようなもので、高校生活が支えられていて、自身で構築できないような)ものが、結局、一年生から成績が悪く、

さらに言えば、もしかすると、評価システムに全員が適応しても、大学生活に全員適応しても、入学時の学力差がそのまま縮まらず、卒業していっているだけ、言い換えると伸び率が全員同じで、結局、そのままなだけ。

だから、重要なのは、高校生活とは違って教員がどの単位を取ったらいいと言ってくれない仕組みに慣れるようにすることや、教科学力ではないもので評価されることを理解させることや、入学時の学力差を補う補習をやること(だいたい入学制度が様々なんだから、学力差は必ずある、科目間でも)や、尖ったセンスを評価する科目で、個人の個性を伸ばす科目で自身の能力に自信を持たせるような取り組みが必要だ。

1年生が、勉強に取り掛かることが重要なのではないと思う。
取り掛かれるような環境を提供することが、大学にとって重要なのである。

AのあとにBが起きると因果関係があるように見える。
その見えたように感じる因果関係が、正しいかどうかよく考える必要がある。

オンライン授業がうまくいった理由

授業目的公衆送信補償金制度が前倒し適用されたから。
ただそれだけ。

これまでは公衆送信ができなかった、他会場以外へは。

これがオンライン上に保存して、受講生に資料を配れるようになったのが、もっとも大きな成功要因。

副総長のご説明

びっくりするぐらい理路整然としている。
さすが副総長、格が違う。

ただし、一つだけ欠けている。
これを意見する必要があるが、届くか、届けるべきか。

大学生協の新入生への様々なプランが。。。

大学生協の新入生への様々なプランがあるが、ちょっと高すぎるのではないかと思える。

PCスキルアップ講座 スタンダード講座+アドバンス講座、O大学生協、約7万円。通常の学費に対してあまりにも高くないか?1年間の15回コースだとしても。。。

教育とは一人にスイッチを入れること

どんなにひどい学生がいても、あきらめずに一人でも学びを求めているものがいればその人のために行うのが教育。

残りを退場させられないが、彼らの学費納入で、これが維持できていると思えば、逆にありがたいと思えば、それはそれ。

留学

市立図書館で、偶然見つけた本『受けてみたフィンランドの教育』
留学の意義、フィンランドの教育、語学教育について体験をもとに書かれている。

点数をとるための教育ではない教育を目指すべきだと、あらためて思う。

国民は我々のために働いているのではない。我々が国民のために働いていることを忘れないでほしい。

我々はあなたのために働いているのではない。
あなたが我々のためにと思ってやっていることはまったく役に立っていないということを知って欲しい。

普段からのつながりと、それを行動に起こす人たちがいること

普段からのつながりと、それを行動に起こす人たちがいること。
こういうのが、本当の力。



どこを見ている裸の王様

統合による日本一、世界有数の教育研究組織

どのあたりが統合による日本一、世界有数の教育研究組織の成立なのか。


情報リテラシーのテキスト最終段階

top
情報リテラシーの教科書の改訂版が、ほぼできた。
採用数だけをあらかじめ増刷します。定価は3000円前後ですが、価格は出版社と書店を通さない著者割的な方式なら1000円ぐらい安くなるかもしれません。
→→→詳細ページ(ここからさらに改訂・改良されています)

利益相反と一緒の構図であることに今頃気がつく

なるほど。
副社長が、部の副部長をしているとは知らなかった(厳密には違うけど)。
このような兼務をすれば、それは結論はそうなるな。

しかし、これ部長が副部長(副社長)に命令したら、従うんだろうか。
ここで副社長が役員待遇だとすると命令系統がおかしくならないか。

三重大学の情報のテキスト?

三重大学の情報のテキストと思われる書籍を丸善と生協の書店で見た。




前から存在は知っていたが、改訂版がでた。
リテラシーの基礎が書いてある。
物足りないと感じたが、こんなものなのだろうか、求められているのは。

私のテキストは、いかがでしょうか?
Dropbox 、未定稿、情報のテキスト

情報処理演習のテキスト

情報処理演習、情報リテラシーの大学生向けテキストが、ほぼできました。
現在、鋭意、校正中です。

PDF原稿による出版です。
沢山刷れば、1冊の単価を下げることができます。ただし、買い取りでですが。。。
クラウドファンディングのように、採用いただければ?、1冊の単価が下がっていきます。

静岡大学の情報のテキスト

静岡大学の情報のテキストを手に入れてみた。

Let's Enjoy Computing―情報処理―
学術図書出版社
2020-04-01




コメントしがたい内容だった。

私のテキストは、いかがでしょうか?
Dropbox 、未定稿、情報のテキスト


新テキストの原稿

情報リテラシーの教科書を書き換えた(校正中)。
この完成度なら校正を続ければ、新年度には改訂が終わって印刷できる。
Twitterを無理矢理、三連投で埋め込む。。。





グループ討論?

宿泊形式の正課実習で、
ティーティングアシスタントが、
グループ討論を主催するというので、一つのグループをハイジャックした。ハイジャックするために、ワークショップの本を3冊、読み、充分な準備をした。シナリオを下書きし、さらに実習に行くバスの中でさらにシナリオを清書してストーリーを決めた。ペンや付箋紙も用意されているだけではきっと足りないとふんで、ホームセンターや生協で買い占めて。

宿泊先についてからも、体育館でグループ討論をすることはわかっていたので、グループ討論にふさわしい場所を下見してイメージトレーニングをした。結果、このグループだけ、体育館の2階のスペースに隔離されて行った。

「自然との共存とは」とか、「理想の自然とは」というタイトルだったので、勝手に、「自然」について、ワークショップもどきで、議論した。

1.自己紹介
2.頭の体操、漢字でビンゴ(といってもビンゴまではしなかった。時間がなかった。ビンゴの用紙を埋めるところまでやった)
3.各自の一番興味のある環境問題について、口頭で発表。
4.それらについて、関係する要素を付箋紙に書き出す。さらに2人組になって、書き出す。
5.これらの付箋紙を自然とそれ以外にわけて、壁に貼るように指示。
6.貼られた付箋紙の要素の貼られた場所の妥当性をみんなで検討。
7.最後に、自然の定義について、一定の制限つきで、文章を作成してもらう。
8.模造紙に全員に各自の「自然」の定義を書いてもらう。
9.模造紙を持ちながら、なぜそのように考えたかを含めて、自然の定義について発表してもらう。

ティーティングアシスタントが
やったグループ討論とは、異質の模造紙が一つだけできあがった。

反省点としては、4の要素が、充分説明がなかったので、要素になりきらなかった。6の検討の時に、少ししゃべりすぎた。もう少し、学生から意見をもらって検討した方がよかった。2は時間があればやりたいが、すでに時間はきまっていたのでどうしようもなかったが、まぁ、、、。ビンゴも付箋紙に書かせた方がおもしろかったかも。書いた後に並び替えられるので。

1年生には、このワークショップもどきがうまくいく、文章力や課題への考察力があることを充分、認識した。また、ワークショップとはかなり距離をおいていたが、ワークショップの手法で違和感のあるところを利用しなければ、自分にもツールとして利用可能であることがわかった。

ティーティングアシスタントが
ここ2年行ったグループ討論の今後に自分なりの答えがでた。

農学系大学の改組

農学系大学の改組がある。

山形大学の農学部が1学科制になる。
複数学科では、特定の不人気学科が定員割れするおそれがあるためであろう。
上位学年で多数のコースに分かれるので、
成績によって、不幸な学生が多くでなければいいのだけど。
選抜要項をみると、
なんと二次試験が前期が小論文、後期はセンターのみ。
これ大丈夫なのか???
小論文で95人もとるの? 後期30人もセンターのみでとれるの?

この流れは、なぜか農学系に多い。
工学系で、こういうことをしているところはあるのだろうか?
(現行の東大や、将来の北大の入試制度改革は除く)

1学科なのは、香川、愛媛、岡山、高知かな?
これまでは人口減少がはっきりしている?西日本で多かった。
とくに高知は、山形同様、二次試験が教科試験ではない?、、、。

やむを得ないのだろうけど、
コース選択の不人気が、改革の原動力にならないから、将来が大変だ。

一方、
宮崎大の農学部は、学科を細かく分割する改組を行う。
信じられない。近くに大都市のない地方の農学部は、定員割れ寸前である。
細かくすれば、特定の学科が系統的不人気になった時に定員割れしやすい。
ただ、改組後の組織が結構わかりやすい、
植物、動物、森林、応用生物、海洋、獣医。
山形の改組より、うまくいのでは???


課題

岐阜大学で使用しているe-learning systemの連絡事項に、
以下の課題をだした(プラス、メールも受講者全員に出しておいた)。

【課題】タッチタイプのローマ字入力速度
現在のタッチタイプの入力速度を選択して、回答してください。

成果物の提出:アンケートへの回答
期限: 6月17日(水)13:00まで
点数化の有無:有り
ただし、受講生全員が回答した場合のみ。全員が回答した場合も、回答しなかった場合も、全体の平常点の分母には組み入れない。つまり、全員回答すれば、平常点の分子のみ増加する。全員回答しなくても、とくにマイナス面はない。

全員回答すれば、分子だけに加点されるので、ボーナス点。
全員回答しなくても、分子が増えないだけなので、いままでの平常点。

さぁ全員に情報は伝達されるでしょうか。

e-learning systemやメールをチェックすることが習慣になっているでしょうか?

実は、それより、この連絡事項に気がついた受講生が、
全員に情報が伝わるように、
対面でのコミュニケーションをとって欲しいと思っている。

課題を提示してから、12時間後現在、15人/87人中が回答済み。


先輩後輩

実習や演習では、大学院生がティーティングアシスタント(TA)として、雇用されていることが多い。

今日感じたこと。
TAは単なる教務補佐として、実習の進行を助けているだけではなく、同じ道を通るであろう1年生にとっての、見本(ロールモデル?)としての存在感があった。

つまり、、補佐できるというだけなら、赤の他人でバイトを雇えばいい。その実習や演習を補佐できるという以上の存在として、先輩はそこにいた。

保護者懇談会

保護者懇談会が入学式にあわせて、大学院の新入生の保護者向けに開催された。
一応、予約制なので、研究室の学生の保護者の方がこられるのか、事前に把握可能。

2名予約あり。
スーツらしきものを着て、ネクタイをして待つ私。
1名もこられなかった、、、。

学務係には、
『参加を希望され、ご都合により当日欠席される場合は、お手数ですが学務係までご連絡ください。』と一文書いてもらわないと、、、。

駄文。

一夜明けて

昨日は、卒業式(学位記授与式)だった。

修了生から色紙に、
「これから社会人になって辛いときや苦しいときが多々訪れると思いますが、その都度、先生ならどう受け止め、考え、行動するかを考えてさまざまな問題と向き合っていきたいと思います」
と書いてあった。

良き見本(生き様)をみせられないかもしれないが、この枠組みの構築のきっかけであったなら、この上ない喜び。

受け止め、考え、行動する。
いい言葉だな。

卒業・修了おめでとう。







就職ジャーナル休刊

就職ジャーナル休刊か。

プレスリリースに誤字があるよ。

しかし近年、学生の就職活動・企業の採用活動は WEBを通じたコミュニケーションが一般的となってきたことから、月刊誌『就職ジャーナル』は2010年春に入社予定の学生を対象にした2009年2月28日(土)発売号(通巻487号)をもって休刊いたします。

 2011年春に入社予定の学生向けには、これまで以上に、多くの学生の就職活動を支援することを目指し、WEBサイト版『就職ジャーナル』のサービスを本格的に開始しいたします。 2009年6月からのサービス開始を予定しております。また


開始いたします。が、開始しいたしますになっている。

大学院入試

大学院入試について色々考える。

岐阜大学大学院応用生物科学研究科では、一次と二次試験がある。一次で定員を満たせば二次はない。ただ通常、すべての分野の定員が一次で満たされることはない。

一次は7月末頃、二次は翌年1月はじめ頃。
一次の時期では、大学院入学まで7ヶ月ある。
二次の時期では、大学院入学まで3ヶ月ある。

一次の時に合格と判定された学力は、そのままで大学院でやっていける学力があると判定されたのであろうか、それとも、あと7ヶ月ののびしろを考慮して判定されたのであろうか。

前者であれば二次試験の難易度は一次試験と同じ。後者であれば二次試験の難易度は上昇。のびしろは試験で評価できないことから、試験時にそのままで大学院でやっていけるという学力を一次試験と同程度の難易度で二次試験も判定するのが妥当か。逆に?言えば、いつ試験をしても、その後の伸びを量れないことから、伸びが少なくても大学院でやっていけるという学力があるかどうかを一次でも二次でも判定しておく必要がある。

それに、大学院できちんと研究できなければ、修了できないだけだ。試験は入学資格で、修了資格ではないのだから。


駄文。



地域へ大学生をつれだす

現代GPの風土保全教育プログラムで、
毎年、旧荘川村へ行っている。文部科学省のサポートが終わった後も
学長裁量経費で、実施を継続している。

今回は公民館に寝袋で宿泊させていただいた。

学生を大学の外(地域)につれだすとほんとにルールを守る。

元々、自主的な学生が履修希望したことを割引いて考えなければ中ならないが
たとえば、
魚のハラワタの混ざったゴミの袋に手を入れて地域のルールにあった
再分別をしてくれた。

また、グループ毎に自炊で、同じ釜の飯を食べるのでサボれない
(さぼる雰囲気がまるでない)。
このグループを異学年で構成するようにしているので、異学年と交流して、
楽しそうに見える。

地域、自炊、異学年。
この三拍子は、学生間の自主性のハーモニーに、
なかなか重要な役割をはたしてそうだと思うようになった。

また、夏の荘川が楽しみだ。

教育

毎年同じ科目を教えていると、
学年毎の平均がどうしても見えてしまう。
しかし、
見なければならないのは、個であり、
入り口ではなく、出口。

教育の基本はあきらめないこと。
個に適した教授法を見つけること。
集団がいい方向へ向くように、力を貸すこと。

駄文

遅刻

情報処理での遅刻者が、受講者の約半数、、、。

例えば、この学部では、木曜日の朝は教養の日ではないので、2年生以上もかなり大学へくる。この日に雨がふれば、バス待ちの時間は増える。

先週も雨だった。

前回は一回目だったので遅刻は見逃した。今回も、遅刻しても来れば、遅刻とした。

もう30分早く、家をでよう。出ることが公共交通機関で不可能な人は、それは登校時間を守る上で、雨の日の遅刻が不可避である。アパートぐらしも検討しよう。なんのために大学に通っているのか考えて。

しかし、一概に受講生だけの責任ではない。もっと大学当局は、バスの増発を検討すべきだ。たとえ、費用がかかっても、(きちんといつもより早めに家を出た)学生が遅刻して受講できない時間ができてしまうことは、学生の損失、つまりそれは大学の損失。雨でも晴れでも、適度な時間にバスに乗車して、大学へ通学できる環境を整備する必要がある。過度に早起きしろというのは、酷である。

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卒業

卒業生の質の保証。ひいては、本人の満足、保護者の満足、社会の満足、教員の満足が得られるような大学教育を。

教育が大事、研究が大事の二分法ではなく、学生の質をいかに向上させるかが、学部生への一つの大学人の使命である。

これが大学教員間で共有されていれば、様々な教育上の困難にも共同して、立ち向かえる。

昨日の卒業式から、1日経って、そう思う。

卒論発表会

下級生も卒論発表会を見に来ていた。いかんせん、場所が狭かった(反省)。

なにより、同級生がこれほどまで多く同級生の発表を聴講に来ていたことに感心。これまではごく近しい同級生の発表ぐらいしか、聴きにいかないという雰囲気だったが、コース制になって仲間の研究発表が気になるのか、満員御礼状態。

大学院1年生が行う座長運営には改善の余地がある(座長運営を学会等でみたことがないのか、経験がすくなすぎる)が、会場から教員以外の学生が盛んに質疑応答に加わっていて良かった。

気になったのは、余分なことを言う発表が多いと感じた。今後の課題や展望のようなことをオーバーディスカッション気味に述べるものが多いという印象だった。結論やまとめや考察で、きちんと終了する方がいいような気がする。

課題は、質問で聞かれたら、答えればと思う。

しかし、ずっと聞いていて、こんなに楽しい(興味深い)卒論発表会はなかったな。常に、改善して良くなっていけばと思う。

お疲れ様(修論も)。

最終講義

中村征夫前学部長の最終講義があった。

「凛乎真摯」・「自化自育」の源流を求めて −新渡戸稲造と応用生物科学部−
というテーマだった。

凛乎真摯、自化自育以外にも、
学部に保管あるいは掛けられている額には、稲造(新渡戸稲造)などの札幌農学校出身者の書がある。このルーツを探し求め、推論を交えてお話いただいた。

推論があるとはいえ、我が学部のルーツの一端を垣間見た。

岐阜大学応用生物科学部の前身の農学部、そしてその前身の岐阜高等農林学校(岐阜農林専門学校)は、大正12年に設立された官立旧制専門学校で、札幌農学校出身の教官がほぼ全員であったとされる。

つまり、札幌農学校の精神を受け継ぐものによって、岐阜高等農林は運営されていた。岐阜の農林高等学校には、農学科、林学科、農芸化学科の3つ学科があり、農芸化学科は、他(三重、宇都宮、岩手)にはない特色であった(高等農林なので、農林の学科は必ずあり、他の三重は農業土木、宇都宮は農業経済、岩手は獣医だったらしい。)

そして、中村先生は、講義のところどころで、平和の大切さ、そして憲法9条の大切さを説いた。これ以上、混沌とした社会へ向かうことのないよう、教育の方針を間違うことのないよう、我々大学人・大人の進むべき道として、凛乎真摯、自化自育(応用生物科学部憲章にも記載がある)を育むよう説かれた。

地方国立大学の挑戦

黒木学長の発案によるシンポジウムが13回目を迎え、
ついに集大成的なシンポジウムが開催される。12/14-15
地方国立大学の挑戦

この中で、
国立大の学生の70%強が地方の国立大に在学しているのに対し、私立大学の大半(55%)の学生は都会に集中している
と要旨集には書かれている。

地方大学の地域への貢献は、人的資源の面から重要なのだな。
ただし、これ比率なので、実数を考えると都市部の大学生は非常に多いということか。

ある意味、地方国立大生というのは希少価値がある?





次期学部長

次期応用生物科学部長に、
小見山章教授(専門:森林生態学)が昨日の教授会で決まった。

今や学部長はかつてのような名誉職ではなく、
学部の舵取り、本部との折衝の重要な職務を担う。

未来を見据えて、どのような改革がなされるか、
楽しみでもある。


ビデオ

ある木曜日に、調査から帰学したら
教授の先生が、憤慨していた。

ビデオを見てわかった。とても全部は見る気にならないけど。
これでは憤慨するだろうという内容。

停滞するな、これは。色々と。



行ってきたけど

フォーラムに参加してきた。

登壇者の一人の発表内容にはあまりに意味がなく、学会発表なら退席しただろうと思った。その後も、その方がパネリストとして良く発言していたが、ほとんど自分の発表データを否定したり、行間を読む必要があるという類の発言で、何のためのデータ・発表なのかという感じだった(提出された2つの指標も相関している指標で、それを別々の項目への評価に用いるという質問する気力もなくなる指標だった)。

参加したおかけでまったく門外漢の私には、これからの大学の社会貢献についての情報が少し集まってありがたかったが、フォーラムのテーマはほとんど議論されず。

設定テーマ自体が、いまいちと感じた。

市場原理で解決することを議論し、
市場原理で解決しないことを議論しないという意味不明なテーマ設定。

この程度のレベルを議論しているようでは、大学は、社会と連携できない。

来年はたぶん福島で開催。


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科目削減(農学系)

近くの農学系の大学で、また科目削減。

なんか最近偏差値が少し上がったな思うと、だいたい、受験科目削減。
5教科7科目から、4教科6科目へ。

来年は、四国の大学で後期日程で科目削減。
これも二極化か?

科目を増やす学部や大学と、減らす大学、、、。

高知大学の学長選挙

11/28追記
「高知大学 学長選挙」といったキーワードでたどり着く方が多いので。

高知新聞の検索窓で、高知大、または高知大学で、検索すると最新ニュースがでるでしょう。



PDFファイル:高知大学学長選考会議の言い分

PDFファイル:選考規則(高知大学)

開票作業の不透明さ(高知新聞)

記者会見の記事では、票のすり替えを否定せず!?

任期の長さが国立大学法人法に違反しているの?

意向投票は、学長選考会議の参加者の参考情報でしかない。
意向投票が何票差があろうが、誰が過半数の投票を得て、学長になるのかは意向投票そのものの結果と一致するとは限らない。それが規則だ。岐阜大学も似たような規則になっている。

選ばれた高知大学の学長が、入試ミスに対して書いた言葉
地域の人々から敬意をもって評価される大学を目指して
だそうな。

しかし、これだけ悪いニュースを流して、いったいこの後どうなるのだろう。
ちなみに、選考会議議長は、農学部長、、、。

一方、


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先行者が誰か、追従者が誰か、それが問題だ

新しい技術を導入することが良いのに、古い技術にとどまるケースと
新しい技術を導入することが望ましくないのに、新しい技術へ移行してしまうケースが、ゲームの理論を使って説明されている。

「自由放任」で優れた技術は普及するのか〜ゲーム理論による考察 ビジネス-ネット時評:IT-PLUS

ふむふむ。

先行者が誰か、追従者が誰か、それが問題だ。

知識の伝達

最近、難しいなと思うことがある。
それは、e-learningシステムの使い方を、私より年齢が上の先生方に教えること。
というより、伝達・伝播させる方法。

かつては、ほとんどの知識や道具の使い方は、年配者から継承によって行われてきた。しかし、パソコン関連のことは、どうしても、若輩ものの方が使い方を知っている場合が多い(私もついこの前、携帯電話にタイマー機能が付いていることを知った、、、)。

ネットワーク関連の本が参考になるかと思って読むものの、なかなか、この問題に取り組んでいる本が見つからない。
ぜひ、誰か、若輩ものから年配者への知識の伝達で効率の良い方法を教えて欲しい。ブレークスルーを。

考える人をつくる

ちょっと実習で不在にしていて、アクセス数を見ると、いつもの3倍。

いつものように大学教員の日常・非日常を読んでいると、ある記事のリンクをクリックすると、、、。
私のblog、、、。
フラスコ氏からのリンクが、アクセス数の一瞬の増加をもたらしていた。
トラックバックするのは、おこがましいので、今回は止めておこう。

考える人。

私の専門は情報教育ではなく(笑)、森林生態学(初公開?)なので、森林という現場を使って、現場で考えられる人を育てなければと思う。そして、そのためにはもっと自分自身を磨かないと。






評価

今や大学では、評価が大流行である。
(ここで言う評価は、投資に関連する格付け評価ではない)

定量的な評価は必要であろう。
しかし、評価できないことの重要性をどの程度、認識しているかによって、その意味はまったくことなったものとなるだろう。

例えば、実習のコーディネーターとして、各教員の意図や希望をくみ取り、計画を立て、実習中には宿泊場所に全泊し、実施と安全を図るというようなことをしても定量的には誰にも評価不可能である。たとえ、誰かがそれを意図的に避けてもマイナスにもならないが、その仕事を引き受けた人は、定量的には評価されない上に、時間も消費するということになり、定量的評価からは二重にマイナスである。
こういうことは同僚からの賛辞でしか評価されない。

例えば、岐阜大学の風土保全教育プログラムで育てた学生は、就職活動の時、これらのプログラムでの体験を就職の面接で語ったという。学生曰く、面接官の関心が高そうだったと言っていた。無論、これだけで合格したわけではないだろうが、この教育プログラムが就職という形で貢献していることは決して評価されない(就職以外の側面でも、貢献していると私は思っているが、、、)。これは学生が感じるという以外に評価しようがない。

これもまた、よく教授と話すことである。

講義と授業の違い

秘訣 講義を楽しみ、授業を頑張る
これを読めば、ここに書くまでもない。

教授と、よくこれに関係する話しをする。

教授曰く、
知識は伝達できるが、智恵は伝えることはできない。
ただし、智恵は見せることができる。
教員は講義ではこの智恵を見せ、学生はそれを見ることができるかだ。
単に、知識だけ伝達したいなら、授業をやればいいのであって、
それは大学ではないだろうし、地域に根ざした大学がそれを
放棄するのであれば、地域から智恵が失われていくだろうと。

よく情報科学?の世界で、データ→情報→知識→智恵といわれる。
インターネットを探せば、このようなことは書いてある。
情報資源管理から知識管理へ/呉慰慈(北京大学信息管理学部教授)

情報は,「データ+具体的な応用環境(context)」である。知識は,「情報+具体的な応用環境」である。智恵(Wisdom)は,「知識+経験」である。


しかし、教授はこういった類の本は読まれないし、ネットサーフィンもしない。しかし、教授は知識と智恵を区分し、伝達不可能なことを述べる。

智恵が知識+経験だとすれば、まさに、経験を教えることはできない。
できるのは、経験させる機会を作るか、智恵を発揮している所を見せるしかない。

経験させたからといって、同じ智恵が構成されるとはかぎらない(というか、同じにはならいだろう)。

智恵を発揮している姿を見せる場、智恵を獲得させるための経験をさせる場、これこそ私も求める理想の大学像だ。

AIMS-FD

教授会と研究科委員会の間を活用して
AIMS-FDが開催された。
※AIMSとはblackboard社e-learningシステムの岐阜大学での呼び名です。

教員約60名の参加があった。約1時間。

教員60名の1時間は貴重な時間。
発表用の原稿も、箇条書きでしたためておき、FDの発表した。

これまで使っていない先生方に
少しだけAIMS使用のきっかけを得ていただけたのではないだろうか。

◆AIMSの機能は大きく分けて、3つ(私の勝手な分類)。
1.資料配布収集機能(ローカルファイルのアップロード、課題提出機能)
2.コミュニケーション機能(アナウンス、掲示板、Eメール送信)
3.アセスメント機能(テストマネージャ、アンケートマネージャ)

この中で使いたい機能があれば、
------------------------------------------------------------------------
対面でのコミュニケーション能力が増し、
行動特性が改善するような使い方で、対面の方が低コスト・高効果な
ことはAIMSで行う必要性はなく、AIMSで容易にできることを選択して
------------------------------------------------------------------------
使っていただければとおもう。

生きる力

生きる力の定義が、中日新聞(2007.8.31)によると、
「将来の職業や生活を見通して、社会において自立的に生きるために必要とされる力」に再定義されると伝えられる。

しかし、生きる力がそんな職業感養成教育なの?と首をかしげたくなる再定義。

生きる力は、
他者に対して、適切なコミュニケーションを行う能力をもち、
かつ規範意識をもって社会における課題を克服していくことができる能力とか、
そんなんじゃないの?
ゆとり教育の象徴の総合学習は、これを強化するためのものじゃなかったの?

これでは人は育たない。

就職活動

顔を知っている他課程の3年生に会った、夏休みにもかかわらず。

理由を聞いた。

この前は、追試だったけど、、、。
今回は、企業展らしい。
もう3年生でも就職活動が始まっている。

大学院への進学者は少なそうと、言っていた。
18歳人口が減って学部の倍率が全国で低下しているけど、
大学院は、会社との奪い合いか、、、。

一定量、社会に学部卒生がでないと困るし、
かといって、大学院に全員が行くことが必要なわけでもない。

そういえば、
研究室にも、ついこの前
就職情報サイトの担当者がパンフレットとシャープペンシルを
営業活動でおいていった。
そのパンフにも大学院へ行くのが就職への近道とは限らないというような
ことが書いてあった、、、。

お盆には、去年の卒業生が、求人情報をもって研究室を訪ねてきた。
人口減少社会で、
会社も大学も生き残りをかけた時代がはじまった。

大学が学生に対して、就職に関して何をサポートすべきか。


過去問

大学入試の過去問利用が最近にぎやかだけど、
岐阜大学黒木学長の意図は、
ことさら過去の問題と同一の問題を避けることで悪問になることを避けること、
過去の他大学の問題と似た問題を出すことがタブー視されることをやめることで
問題作成やチェックの負担が減少することを目指しているのであって、
けっして、他大学の過去問が出る!出す!ということを意味していない。

しかしちまたでは、どうも誤解が多い。
例えば、これ

さらに、
岐阜大学の携帯サイトの合格体験記に載っていること自体
意味がわからない。

さらにさらに、
これを書いた受験生が受験した年は、過去問利用の前だしね、、、。

勘弁して欲しい。
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教養教育

教養教育のみを教える教員をおいてはならない(だったかな)という通達を
文科省がだしてから教養部が全国で廃止されてかなりの時間が経過した
(私はまだ学生だった)。

教養とはなんだろうか。
価値観が多様化し、何が教養かがわからなくなってきた感があると
ずっと思っていた。

しかし、ちょっと思う。
大学(例えば岐阜大学)の求める教養という像を、
教養教育では示すべきではないだろうか。

リメディアル教育とは、まったく別の次元で物事を考えるべきだ。

求められる基礎学力は、学部学科によって異なる。
リメディアル教育は、高校卒業までにあった学力差をどのように埋めるかであって、
教養教育とは異なるはずだ。

しかし、教養として身につけなければならない内容は、
学部学科に依存せず、
理念として提案できるはずだ。
これこそが、今、教養に求められている姿ではないだろう。

多様な大学による多様な理念で学んだ学生が社会で、混ざる。
これこそ、意味のあることではないだろうか。
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作者:加藤正吾
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